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取材の現場から②
歴史認識問題をめぐる「メモリー・ターン」と「和解学」

小渕恵三首相、金大中大統領による1998年の「日韓共同宣言」から10月8日で25年。日韓パートナーシップの節目を前に、「和解学」という新しい学問を追究する早稲田大学の浅野豊美教授、梅森直之教授にお話を聞きました。

日韓・日中の間で延々と続く歴史認識問題は、なぜいつまでたっても解決しないのでしょう。1965年の日韓国交正常化からもうすぐ60年。従軍慰安婦や徴用工の問題をめぐって謝罪と賠償を繰り返し求める韓国と、それはもう解決済みとする日本との溝はなかなか埋まりません。今年3月には徴用工問題に対して韓国政府が解決策を示し、政治的決着への道筋がついたかのように見えますが、この先どうなるかはまだ不透明です。

両教授によると、この難しい問題を考えるにあたり、「外交的和解」と「国民的和解」は別ものであることをまず認識する必要があるようです。国益を求めてなされる政治的妥協と、その裏側でくすぶり続ける国民感情は容易に合致せず、国内にさえ激しい対立を呼び起こしているのですから、国と国の間で相容れないのはむしろ当然なのかもしれません。

激しい国民感情の根っこには、その国の民衆が共有する「歴史の記憶」があるといいます。日本人であれば被爆や敗戦の経験と、そこからの驚異的な経済成長による「豊かさと発展」が記憶のベースとなって根づいている。一方の韓国人にとって忘れられない記憶は、戦前の日本統治下における弾圧であり、独立を求めて闘った三・一運動などの経験です。韓国でも戦後は経済発展を追求しますが、それを主導した独裁政権に対する民主化抗争の果て、豊かさや発展よりも「人権と自由」により重きを置く国民感情が醸成されたと考えられるのだそうです。両国民の感情的対立の源泉はここにあると。

その対立感情が歴史の記憶に基づくものならば、歴史を変えられない以上、対立もまた解消しないのではないか。その疑問に対する両教授の答えは、「記憶は変えられる」でした。歴史の記憶とは、必ずしも自分自身の体験に基づくものではなく、学校で習ったり親から聞かされたりした話が下地となり、無意識のうちに体に染みこむものだから。どんな情報を選び、何を記憶するかはその時代の社会や価値観によっても変わってくると。

であれば、対立を呼ばない記憶へと塗り替えられる可能性もある。こういう未来でありたいから、このことを記憶しておきたいという未来志向によって。過去は変えられないが、未来は変えられる。そこに和解への糸口も見出せるのではないかということです。

歴史学の世界では、そうした「メモリー・ターン」についての研究が最近になって進んでいるそうです。歴史の記憶が変えられるとは、目からうろこの発見でした。