ブログ

Blog

一期一冊 vol. 1
嗚呼、愛しの湯切り


本との出会いって「一期一会」だと思いませんか?
もちろん、同じ本と何度もめぐりあうことはできますが、
「いつ読むか」によって、本から受け取るメッセージは千差万別。
だから、「一期一冊」の気持ちで、
本との出会いを大切にしていきたいと思っています。

そんな思いをこめつつ、これから、
書店で出会った本を、新旧問わずご紹介していきます。

■今日の一冊
『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(神田桂一・菊池 良/宝島社)

〜完璧な湯切りは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。

一冊目は「もしそば」。
2017年に発行され、ベストセラーにもなった本書。
すでにご存知の方も多いかもしれませんね。

この本に書かれているのはただ一つ、カップ焼きそばの作り方。
太宰治や三島由紀夫などの文豪や、星野源、糸井重里、ヒカキンなどなど、
総勢100名もの文体を模して、カップ焼きそばの作り方が語られていきます。

冒頭の湯切りについて語っているのは、そう、村上春樹(もどき)。
「1973年のカップやきそば」というタイトルが添えられた文章は、
こんなふうに始まります。

きみがカップ焼きそばを作ろうとしている事実について、
僕は何も興味を持っていないし、何かを言う権利もない。
エレベーターの階数表示を眺めるように、ただ見ているだけだ。

村上春樹特有のメタファー、
思わずくすりと笑ってしまいます。

松尾芭蕉翁(もどき)は、こんな俳句を詠んでいます。

キッチンや薬缶(やかん)飛び込む水の音
熱湯を集めて流し湯切りかな

こんな調子で、古今東西の人物を模して
鮮やかな文体七変化が続きます。

先ほどから「もどき」と書いていますが、
擬(もど)くことは、単なるモノマネではなく、
擬く対象に対して崇敬する気持ちがなければできないもの。

ただただ、かやくや湯切りや麺のことが書かれているこの本が
時に崇高で、愛しくさえ思えてくるのは、
真摯に、一途に、擬いているからなのでしょう。

「切実に馬鹿だから、なんかもう泣けてくる。」とは
クリープハイプの尾崎世界観が帯に寄せたメッセージ。

尾崎さんに肖り、私もひとこと。
切実に擬いているから、なんかもうひれ伏したくなる。

さて、カップ焼きそばでも食べましょうか。